惣     門


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惣門について

     建長寺惣門は、火災や震災により再三失われ、現在のものは、昭和18年に般舟三昧院 (はんじゅうざんまいいん:京都上京区 今出川通と千本通の交差点の近くの寺院と推察) から、方丈と共に移建されたもので、天明三年(1783)に建てられたものとのことです。
     18世紀後期の京都における第一級の近世寺院四脚門と評価され、全体から細部に至るまで充実洗練した意匠がみられるといわれています。(以上「資料」による。)

     市内にあるこの形式の門は禅宗様が多いのですが、ここの門は和様の特徴が多く見られます。
     例えば、柱と柱を貫(ぬき)ではなく、柱を外側から板で押さえてつなぐ長押(なげし)を用いていること。親柱の下は、唐居敷(からいじき)と呼ばれる厚い板で受け、禅宗様で用いられる礎盤(そばん:礎石のうえに置き、柱を受ける丸や四角の石)ではないこと。控柱が角であることなどです。

     そのほかに、六葉(ろくよう)の釘隠しや、(写真下左)の上部の菱形の透欄間などなどのデザインが和様の風といわれています。一方、扉は上部の透欄間を除いて禅宗様の桟唐戸(さんからど)で、禅宗様も入っています。

     瓶を逆さにしたような大瓶束(写真右)には胡麻殻决り(ごまがらじゃくり)とか胡麻幹彫(ごまがらぼり)と呼ばれる縦に細かく彫った溝が見られ、装飾の施された笈形付の大瓶束です。


     扁額(写真下左)には山号の「巨福山」が書かれていますが、「」の字には点()がついています。このお蔭で(字の力強さが増し)百貫の値打ちがでたということで「百貫点」と言われるそうです。(中国では、昔はこの字を使っていたとの話もあります。)

     屋根(写真下右)には北条氏の家紋である三つ鱗がつき、左右の隅には、魔よけのが載っています。