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惣 門光明寺の惣門は、虹梁大瓶束式に分類されます。切妻屋根の側面からみるとその特徴が分かります。虹梁大瓶束式とは、中心となる本柱(または親柱)と前後の袖柱が(ほぼ)同じ高さで、 本柱の真上には蟇股・虹梁・大瓶束と載ることから 虹梁大瓶束式と呼ばれます。 光明寺の惣門も、本柱の上に載る台輪の上に、蟇股・虹梁・大瓶束が配されています。 ここでは、その上に三斗が載り棟を支えます。(上の写真:左から1,2) そのほかの部分を見ていきましょう。 本柱の間は、下から地覆・飛貫・頭貫で繋がれています。 飛貫と頭貫の間には、彫り物が配され、「勅願所」の額がつきます。(上の写真:左から3番目) 梁行きは本柱と袖柱は、腰貫と一番上を根肘木が支える頭貫でつなぎます。(上の写真:左から4番目) 特徴は本柱の上と本柱間の桁行にあります。(上の写真:右の3つ、以下の説明をご参照ください。) 本柱の間の桁行を三分割した位置に、台輪の高さで梁行き方向に木鼻付の繋ぎが二本渡してあります。 この繋ぎは本柱の頭貫と同じ高さで、これらを含めて四本が一組となります。(図下 左) 本柱の上には蟇股が載ります。 (図下 右) 中間の二本の繋ぎに載るのは、両側面の蟇股に対し、挙鼻付の三斗で(図下 左)、その上は、 すべて虹梁が乗ります。(図下 右) さらにその上に大瓶束・三斗が載ります。(図左) 木鼻(きばな:写真上)に室町風を見ることができるが、大瓶束よりみて江戸時代初期17世紀前期と推定されるとのことです。 「勅願所」と書かれた額が掲げられていますが、八世観誉祐崇上人の徳の高さに感じた後土御門天皇により勅願寺となったことに由来するそうです。 額のかかる欄間には龍の彫り物があり、裏には雲文の彫刻が施されています。 全体の意匠には桃山時代の風が感じられるとのことです。 |