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仏殿について観月堂は、朝鮮の李朝 (1392-1910) の後期 (17 世紀か) と推定されています。もとはソウルにあったものが、東京目黒の驪山荘に移され、さらに昭和14年に当地に移築されたもので、ソウルにあったーつの王宮の観月台であったとのことです。前には庭が広がり池があり、月を眺めたものと想像されます。 桁行(横)は三間で、約 7.4 メートル 強、梁間(奥行)は 5.1 メートル 強です。梁間は、中国風に表すと、垂木が棟を中心に、前後に2列あることから、四椽 (てん) と呼ぶことになるとのことです。(写真左) 正面の間仕切りは、双折の格子戸が入り、開ける場合は、両開きをした上で上に吊り上げる形になります。 前面に、高欄があり、地覆、平桁、握蓮、架木 (ほこぎ) からなり、地覆と平桁の間には、双喜紋とよばれる装飾が施されています。 柱は、中心に双糸(もろいと)と呼ばれる掘りがあり、 斗栱は、柱の上が大斗で、柱と柱の間には、巻斗を配しています。 虹梁を支える持送には、唐草模様が彫られています。 軒瓦には、龍紋が施されています。 この建物も禅宗様の影響を受けたものといわれます。 |