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「ギャラリー 植木金矢」オフィシャルサイト
約60年にわたり制作してきた数々の作品を「ギャラリー 植木金矢」オフィシャルサイトへ
アップしています。主となる作品内容はサイトに掲載していますのでご覧ください。
URL
http://uekikinya.soregashi.com/index.html
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植木金矢 挿絵画家へのきっかけおよび作品の制作歴
◆伊藤彦造、志村立美の画風に魅せられ挿絵家を目指し、東映時代劇のポスターや小説など
の挿絵、装画を数多く描いていたが、作品としては 1951年の「鞍馬天狗」(日昭館)が
デビュー作になる。
又本名以外に「最上元、川口元郷、大道寺鉄、寺内新」などのペンネームによる作品も残している。
◆1953年に「痛快ブック」に連載した「風雲鞍馬秘帖」、1954年「鞍馬剣士」などが人気を得、
劇画作家となった。(劇画の草分け的存在の画家である。)
◆少年誌では1950年代に「少年画報」を中心に活躍する。「三日月天狗」、「おりづる剣士」
などの作品を執筆する。この頃はまんがと絵物語の中間のような作風であり、TVドラマ
「風小僧」を 絵物語化した作品の絵も担当した。
◆少年画報時代の後期には、時代劇だけでなく青春物や西部劇も描いている。
◆1960年代半ばに青年誌に進出し、「週刊漫画」などに数多くの短編を描いている。
◆1970年代の代表作としては、映画のコミカライズの「赤穂城断絶」、「柳生一族の陰謀」
などがある。
◆1980年代には宮本武蔵などを描き、1986年の血汐舞を最後に一時劇画から離れ、日本
画家として活躍する。
◆この間1997年には今までの代表作劇画16編と映画ポスターなどを収録した「チャンバラに
魅せられて〜植木金矢の世界」を刊行。
◆2004年に18年ぶりに劇画「新選組」を発表して復活、以後、「幕末血風録・竜馬をかえせ」、
「明暗 赤穂浪士・討入」などを刊行する。
◆その後も日本画に力を注ぎ、伊豆の踊子に材をとる「踊子、四季」などをライフワークに、多く
のテーマの個展を続ける。
また広島、長崎に落とされた原爆の被爆体験者の話をもとに描いた「神が不在の日8 .6」で
原爆の悲惨さを描いている。
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劇画について
{ 以下の画像の上で、クリックすると拡大します。}
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チャンバラに魅せられて多くの劇画を描きつづけてきた内容です。
◆関連作品 劇画
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映画ポスターについて
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映画や俳優をテーマにした作品を制作するようになったのは約30年前、友人から「戦災で失われた映画のポスターを描いて欲しい」と依頼されたのがきっかけである。
以来鎌倉や都内で幾度か作品展を開いている。
◆関連作品
映画ポスター1
映画ポスター2
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個展・展示会について
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数多くの美人画や山頭火や竹山の墨絵を
描く
◆関連作品 個展・展示会 |
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原 節子展
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原節子さんのテーマについては「神秘性があり、品がある。登場するだけで映画に潤いがが出た」と制作する上での魅力があります。
◆関連作品 原 節子 |
■伊豆の踊子の制作について
川端康成の代表作「伊豆の踊子」を題材した絵の制作およびテーマによる展示会を幾
度か実施してきた。
この伊豆の踊子は「かれんさや素朴さ、旅芸人の踊り子の哀感に ひかれる」光景に魅力がありこれらの制作を取り組み又生涯のライフワークに取り入 れ「自分の踊り子の世界」を追及した作品の制作していきたい。
◆関連作品 伊豆の踊り子
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■ 植木金矢の伝説と原爆への思い
<植木金矢の伝説>
去る日、都心のあるホテルの一室で昔お世話になった雑誌編集者の米寿祝いに招かれて
出席した折、「あヽ植木金矢まだ生きていたんだ」と云う囁きを耳にしました。
<伝説>昔から語り伝えられてきた話
2009年3月浅草公会堂に於いて「劇画漫画展」を催した折、ある雑誌に紹介された記事に
「伝説の劇画家 植木金矢」とある。
あヽ私もいつの間にか伝説の人になってしまった。
良いのか・悪いのか・只今八十八歳。
昔同じ雑誌に作品を載せていた劇画・マンガ家の方々
の多くが鬼籍に入ってしまった。
<原爆への思い>
多くの原爆展に背を向けてきた私ですが、十余年前ある女性の方のざんげを含む体 験談を聴き、
これは絵にして後世に伝えゆければという思いにかられて描き始めましたが、
あまりにもその悲惨さに、それまでに美人画を多く描いてきた自分にはとても描けないと
何度か筆を置いきながらも、私に原爆の体験を語って下さったその方の真情に思いを至し、
やっと描き上げたものです。
私が原爆の絵を描くのは金儲けや売名の為ではありません。
幼な子を含め被爆体験の悲惨な真実を世界の人に知らせ訴える為です。
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