■ 私からのメッセージ ◆きれいな街が心地よい。ごみを拾って40年。仲間のひろがりを願って・・・ 本活動のきっかけは引っ越しでした。東京のマンションに住んでいた頃のごみ処理は、ダストシュートに入れるだけでおしまい。子供も生まれ手狭になり、昭和46年に引っ越して来た鎌倉市は、全国に先駆けてごみの3分別(燃やすごみ、燃やさないごみ、粗大ごみ)がスタートしており、新鮮な驚きでした。日々、生活の中から生まれるごみ。昭和46年に発足した市政モニターには3期生として参加し、ごみ行政の仕組みなどを学ぶ機会も得ました。 時代と共に町中に飲料用自動販売機が増え、道端には空き缶がコロコロ。行儀が悪いとされた食べ歩きも抵抗感が薄れ、石油化学製品の腐らない多様な使用済み包装容器がポイ捨てに。分煙で喫煙者は勢い路上喫煙族になり町中を灰皿代わり。町中には散乱ごみが目立つようになりました。腐らない厄介なプラスチックはごみの質も変えました。狭いエリアにオールシーズン観光客が訪れる鎌倉。散乱ごみの多さと受け皿の現状は深刻でした。
「家庭からのごみ。路上に散乱ごみ」は避けて通れない環境問題として、きちんと向かい合うことが大切です。これが具体的な活動に繋がっていき、今日に至っています。小学校からずっと、登校前に庭や家の前の道路掃除をするのは、私の仕事でした。「ごみと美化」への関心は、このような原体験が役に立っているのかも知れません。公共の場所も私達の大切な生活の場所、楽しみの場所なのに、自分の家ではしないであろう、ごみのポイ捨て、吸殻の投げ捨てをみると悲しくなります。「まず捨てない、あれば拾う」人達が住むまちは心地よい。だれでも参加できる心根を実践し、伝えていきたい。これからも・・・ ■<鎌倉を美しくする会>のあゆみ ◆テーマ「散乱ごみ防止」と「公衆トイレの美化」 活動開始当時(1991年頃)観光客は年間約2200万人。鎌倉市は観光ごみ対策として観光ルートに金網かごを置き、ごみ収集は月曜から金曜日の平常業務で処理していました。観光客が多い土・日曜日、かごからごみが溢れ、周辺には事業系ごみも置かれ、国際観光都市と言うには余りにひどい状況が続いたのです。
まずトイレ。4K(汚い、暗い、臭い、こわい)トイレの改善。冬でも臭う鎌倉駅東口トイレの改修を市に提言し実現。公衆トイレはいつでも清潔であってほしい。そのための標語公募もしました。最優秀標語「次に使う人への思いやり。あなたが光るエチケット」を鎌倉市に提言し、観光マップに採用されました。 ◆1989年「ごみ」と「トイレ」の写真展
鎌倉市中央公民館地下ホールで1989年2月21日から26日までの5日間開催。デザインも優れた世界のごみ箱と、鎌倉市内のごみ箱やごみマップ。ごみ箱がごみを呼ぶことをアピールし、多くの来場者に問題提起をしました。
◆1989年缶飲料のふたを「プルタブ」から「スティオン・タブ」
潔癖な日本人には、飲み口に一旦タブを押し込むスティオン・タブの「構造」はなじまないと言われていましたが、世界の趨勢は、缶飲料のふたが外れないタイプに切り替わりつつありました。 鎌倉を美しくする会は、飲料メーカーに5つの要望をしました。 @プルタブをスティオン・タブ変える Aタブの面に開け方の説明または刻印する Bプルタブのタブ入れを自販機につける CテレビCMでスティオン・タブの紹介や、プルタブ投げ捨て防止の呼びかける D自販機の横に必ず回収箱の設置する 1990年になって企業のすばやい対応であっという間に切り替わり、要望を出した私どもを驚かせました。@について「私達にも出来ることがある」と市民活動の大切さを実感しました。 →日本で最初にプルタブが採用された理由 @日本人の衛生観念 Aスティオン・タブの特許の問題 なぜ急速に切り替わったかの理由は、業界の社会貢献(CSR)対策で環境問題(プルタブの散乱と野鳥がプルタブを飲み込む事件が多発したため)も少し関係している。 *海水浴シーズン裸足で歩く砂浜に捨てられたプルタブで怪我などもあります。 ◆1994年観光地鎌倉駅周辺の美化問題 懇談会開催後に提言し実現したこと
鎌倉観光の多くは歩く観光。駅から出発して駅に戻るパターンが多く、ごみも駅周辺に集まります。年間2200万人と言われる観光客が出すごみを、17万人余の鎌倉市民の善意だけで解決するのは無理があり早急に行政、企業、市民が取組まねばならないとして、鎌倉を美しくする会は懇談会を開催し、1994年6月28日鎌倉市、江ノ島電鉄、京浜急行電鉄、鎌倉駅表駅タクシー組合、JR鎌倉駅に提言を提出しました。
◆違反広告と屋根型ビラーボックス
1990年代、街中の性風俗、ヤミ金、不動産関係の違反広告が凄まじく、公衆電話ボックス、電柱が無断で使われ、貼り紙・立て看板が横行しました。NTT藤沢支店、東京電力藤沢支店の担当者とその対策について懇談会を持った折、東電の方に「電柱の地中化で歩道にある設備が屋根型だと上に空き缶などのごみが置かれない。」とお話ししたところ、工事が終わっていた若宮大路と芸術館通りのビラーボックスの一部に屋根が取り付けられました。今、小町通りの電柱地中化工事が行われていますが、屋根型を提案すればよかったと残念に思います。NTTから発行してもらった「公衆電話巡回管理者証」の身分証明を携帯して、テレクラ、サラ金のチラシも貼られたら直ぐ剥がす実動で、随分環境浄化に役立ちました。現在は鎌倉市から委嘱を受けた私を含め会員3人が、「違反屋外広告物除却協力員」として活動を続けています。 ◆1996年〜ポイ捨て防止条例制定をめざして 2001年成立
三古都のうち、いち早く1982年散乱ごみ防止条例を制定したのは京都です。町中に飲料用自販機が増え空き缶の散乱が目立つようになり、空き缶デポジット導入を模索。飲料メーカー、製缶メーカーを含む多くの企業が「京都市環境事業団(現在京都市のまち美化推進事業団)」を立ち上げ、京都市も活動費を一部拠出してまち美化をサポートする仕組みが出来ました。京都市の人口約150万人に対し観光客約4千5百万人/年、鎌倉市は人口約17万人に対し観光客約2千万人/年。観光客30人/京都市民1人当り、観光客117人/鎌倉市民1人当り。鎌倉市民は京都市民の4倍観光ごみ処理を担っており、鎌倉を美しいまちとして維持するには多くのサポーターの協力を必要としています。鎌倉にもこのような方策が出来ることを願ってはいるのですが・・・ 観光資源に恵まれ四季を問わず訪れる人々が出すごみが散乱ごみになっている現状に対する施策が必要でした。「条例で街がきれいになるのか?」とよく言われます。条例が出来れば担当窓口が出来、予算がつき、条例の実効性を高めるために行動計画がつくられ、計画を実施するための活動がスタートします。鎌倉を美しくする会は、既に美化条例を施行していた川崎市・横浜市の担当職員を講師にお招きし1996年6月「ポイ捨て防止条例を考える〜実施自治体に学ぶ」ミニシンポジウムを開催しました。条例づくりに深く関わるようになったのは、担当職員の方の一言でした。「鎌倉市が条例を作ることは出来る。しかし実効性の高い条例にするには、市民のお知恵を頂きたい。」協働事業の走りともいえるスタートでした。その後条例づくりを推進するために環境保全団体も参加して、新たに発足したキープ鎌倉クリーン推進会議のメンバーとして参加し、様々な活動を積み重ね、担当職員の支援を得て2000年10月「みんなでつくる美しい鎌倉市民条例案」を鎌倉市に提言。 クリーンかまくら条例制定の経緯
◆2004年7月「落書き防止条例案」を鎌倉市に要望 同年12月成立
21世紀になって驚く勢いで市内に落書きが蔓延しました。2002年落書きNO!の街づくりに取り組んだものの、消し方も分からず、既に活動を開始していた平塚をみがく会の指導を受け、同会の会員でもある事業所からのご好意で、消去剤を分けて頂き、キープ鎌倉リーン推進会議会員として活動がスタートしました。2009年から、鎌倉市との協働事業「落書きのないまちづくり」に取り組んでおり、毎月作成する報告書の蓄積で、常習者を特定するまでになりました。犯行は10年以上にわたり、落書き被害は相当額になります。今年3件被害届も出ていますが、未だ逮捕に至っていません。鎌倉を含め近隣の自治体にとって緊急の課題です。 ◆1999年花火大会散乱ごみ防止の特設ごみ箱とトイレの増設を提言し実現
特別行事に伴うごみとトイレ問題について、1999年5月鎌倉市観光協会、鎌倉市担当課と懇談会を持ち、6月ごみステーション方式と候補地を添え提言に纏め、鎌倉市と観光協会に提出しました。早速8月の花火大会に提言が活かされ、5か所のごみステーションとごみの4分別方式が実現。トイレも仮設の増設と鎌倉体育館等の施設開放が行われました。思えば、2000年以降、散乱ごみ防止啓発スタッフとしての活動は10回を数えました。毎回当日の感想と次年度に向けた提言を提出し、より良い改善を目指しています。 ◆2002年〜バス停ベンチ美化活動 ベンチで憩うまちづくりと今後の活動10年にも及ぶこの活動は当会ホームページで紹介しています。 2003年11月、「5口の支援者を募ってバス停にベンチを置く。違反ベンチは市が処分する。」画期的な活動をメディア発表しました。3日後の神奈川新聞の1面トップに活動が大々的に紹介され、度肝を抜かれるほど驚き、ことの重大さに身の引き締まる思いでした。
2011年11月現在、67カ所のバス停に76台設置、違反ベンチを173台撤去しました。現在全て現役で、地域に必要とされています。バス停ベンチは、バス利用者だけでなく、街歩き、買い物帰りの一休み、散歩の高齢者にも活用されるなど嬉しい光景を目にします。当会のWEBを見たと高知から支援金を送ったくださった方など、多くの支援者に支えられ、地域に役立っているこの活動は、今も継続中です。何よりも違反ベンチが置けなくなったこと、ルール違反のベンチを業者が置いても行政の指導で撤去せざるを得ない状況が定着しました。鎌倉市の景観の質も向上し、活動に携わった私のメモリアルベンチとなりました。これからもベンチの寿命を長らえるべく、維持活動に力を注ぐ予定です。 ■<鎌倉を美しくする会>ホームページ
■これまでしてきたことへの受賞歴
■これからの活動 2009年10月、宇治の平等院に行った時のこと。世界遺産に登録された鳳凰堂は千年の時を感じさせないほど美しく、その佇まいに感動。お堂の周りには玉石が敷き詰めてあり、ふと見るとその玉石を一つ一つ持ち上げ、小さな草を抜いている人に気がつきました。気の遠くなるような作業!名もない人々が営々と守ってこられた象徴のようにも思え、歴史の重みを改めて感じました。守り継ぐことの大切さ。鎌倉も時代の荒波にもまれながらも先人が守ってこられた歴史遺産、風土があります。より良い形で次世代に引き継げるよう、これからも達成感を味わいながら、まち美化、まちみがき活動にかかわってきたいと思っています。
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