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生まれと育ち
生まれは東京深川で家業は米問屋でした。父は教育熱心で大妻高女に進学させてくれました。深川から九段まで市電で通いました。銀座大好きで、洋画をみた
り、ちょびっと不良でした。家には娘一人に1台ずつ、合わせて3台のシンガーミシンがありました。洋裁に親しむ環境だったといえます。
昭和20年3月10
日の東京大空襲で深川一帯は焼け野原になり10万人以上の焼死者が出ましたが、幸いにも家族全員無事でした。父の実家のある寒川に疎開し、終戦を迎えまし
た。戦後の混乱の中で結婚し、二人の娘を得ました。
ご縁があって鎌倉で八百屋業をはじめ、その店番をしながら洋服を縫っていました。昭和43年に、横須賀線のガード近くの市場に3坪の店「スワニー」を開き
ました。茶箱に大事にしまってあった「ハギレ」からのスタートでした。
■ スワニーの歴史
昭和43年に開業した「スワニー」ですが、スワニー川の流れのように発展してほしいというのが命名の由来です。会社のロゴは白鳥(スワン)です。
デザインは次女の多歌子です。
(会社のロゴ)
スワニーの発展は代表の山本 薫(次女の夫)の存在が大きく、女性のお客様と店員というお店の中で男性の存在は欠かせないものでした。また、経営に関して
も私の片腕となってくれました。そして、今では屋台を支えてくれています。
昭和58年に大町橋際に3階建の本社ビル(本館)を建てました。当時は「赤いビル」と呼んでいましたが、今では目立たない色に塗り替えられています。その
後、「もめん館」と「新館」を新築しました。
スワニーでは会社の発展は「会長の機動力、次女のアイデア、代表の山本 薫の経営能力が3本柱」といっています。もちろん、お客様のご支持あってのことで
すが。
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スワニー・オリジナル・デザイン型紙
布地の販売とともに洋裁教室も開きました。洋裁というと、ドレメ式とか文化式とか色々な流儀がありますが、
いずれにせよ、専門家になるのなら基礎
からの訓練と長い修行が必要です。けれども、布地を買ってくださったお客さまが自分だけの
お洋服をつくるのだったら、短時間で仕上げられることが一番大切だと気づきました。そこでオリジナル型紙の登場です。デザインは次女が中心になって描き、
型紙は専門の職人が作る。お教室では、その人にあった形に修正して、主として縫い方を指導するという方法が確立しました。時とともにオリジナル型紙が何百
もたまりました。その後、布地におまけで縮小した図面をつけるようにしました。それが宣伝になって、お教室はいつも満員でした。
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子ども用スカート (旧い型紙) ☆ 本社ビル(本館)
売り上げ増加とともに生地問屋さんとの取引も円滑になり、様々な素材を扱うようになりました。特にニット地については素人には縫えないものというのが世間
の常識でしたが、昭和
50年代なかばになって「レジロン」という名称の糸を入手し、お教室で使えるようになりました。
☆ ニット地を素材にした例
(詳細な作り方にはレジロン糸の指定。
旧い型紙。右端はKCN会員提供の実
物。)
その後、洋裁だけでなく、染物、人形作り、袋物などの分野、またボタンなどの部品類の販売を含めて幅広く取り扱うようになりました。最近では洋服は既製品
の時代になりましたが、独自の小物を持ちたい、作りたい
という要望は衰えていません。
素材をはじめデザインのヒントを得るために、全国各地(その後海外も含む)で開かれる展示会などに積極的に足を運び、気に入った作品に出会うと、
自宅に帰ってすぐに作ってみました。「なければ作ってしまえばよい」の精神の延長でした。新しい素材や部品の調達とともに型紙を用意してもらいました。
私が第一線で采配したのはこの辺までで、次の世代の活躍を見守る役になりました。
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インターネット通販時代の到来と山下公園店
(編集者)時代は移り、広告宣伝も口コミからインターネットの時代に変わり、更にネット通販が普及してきました。
スワニーさんは早くからホームページを開設し、更にネット通販も行っています。流通革命の流れに遅れず一歩先を行くには人材の確保がかかせません。
それは会長のお人柄によるところが大きいと感じました。
ところで、スワニーさんでは従来鎌倉の本店を拠点として営業していましたが、最近横浜元町に支店(山下公園店)を出されました。
ここは、お孫さんが店長で、 新しいセンスのお店ですが、 仕入れは本社で一括して行っており、
品質などはまったく変わらないようにしているとのことです。
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作品集(アンチックドールのドレス)
(編集者)
あるとき会長は銀座で輸入品のアンチックドールを入手されました。 お人形に着せるドレス作りに興味を持ち、
立体裁断という手法で制作。
傑作の数点をご紹介します。
(画像をクリックすると拡大表示します。)
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アンチックドール(西洋骨董) |
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お人形のドレス |
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フリルのドレス |
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小物(鉛筆入れと下敷き) |
右端の小物はこの記事のインタビューのとき(2012年8月)会長自ら材料を持ち、作りかたを説明いただいたものです。
90歳をすぎて、なお、大変お元気でした。
(お願い)このページには
(株)スワニー社の著作物が含まれています。無断転載・複製を禁じます。下記にお問い合わせ下さい。
(なお、旧い型紙はKCN会員が保存していたもので歴史をかんじさせます。現在のものとは異なりますのでご注意下さい。)
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