鎌倉市植木にある
貞宗寺 住職 山口宇宙さん。
住職のかたわら長年・多彩な人生経験を持っている方です。
特に「卓球」に長年携わってきました。
その卓球に関する体験・指導者としての経験を紹介します。
[2012.11.24]
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山口宇宙さんのプロフィール |
1937年 |
(昭和12年) |
伊予・西条生まれ |
1954年 |
(昭和29年) |
鎌倉へ移住 |
1960年 |
(昭和35年) |
大正大学卒 京浜女子大学(鎌倉女子大学)中・高等部教員の社会科教師となる。平成2年迄倫理や歴史等を教えて30年間務めた。
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1975年 |
(昭和50年) |
貞宗寺住職となる。 |
1999年 |
(平成11年) |
神奈川県卓球会会長 |
2002年 |
(平成14年) |
日本卓球会副会長 |
2008年 |
(平成20年) |
日本卓球協会名誉副会長 |
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■鎌倉へ移住
昭和29年8月僧侶であった父親の寺交替で一家は鎌倉市植木にある貞宗寺に移住した。山口さんは高校2年の時で丸亀代表の卓球選手として高校インターハイ出場後鎌倉に移った。
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貞宗寺本堂 |
若き高校生時代 |
卓球とのかかわり・こだわり
学生の頃から卓球に打ち込んできた。高校ではインターハイに、そして大学では卓球選手として全日本選手権に出場した。
大正大学に進学、僧侶ということもあり教育者の道へ進む。昭和35年京浜女子大学(現鎌倉女子大学) 中・高等部の社会科教師となった。 以後平成2年迄教員を30年務め、卓球部顧問として生徒の指導・育成をしてきた。
その間全国高等学校体育連盟の神奈川県責任者等を任せられ、教師としての役割の他に、スポーツ関係の広い人脈を得るとともに、卓球に関する指導・経験者として多くの実務経験を積んだ。
昭和50年貞宗寺住職を先代より引き継ぎ、平成2年住職に専念する為鎌倉女子大学を退職した。
卓球の魅力
スポーツはお互いに競うものです。勝ち負けが決まるところに大きな魅力があります。 練習の成果が試合で試されるという教育的効果もあります。試合では技術面だけでなく
精神面の影響が大きいものです。スポーツの中でも卓球は、以前は各地の温泉・地域の施設に卓球台が有り大衆のスポーツでした。 日本から世界チャンピオンを輩出した時代もありました。
また、ピンポン外交(注)として政治的に話題となったこともあります。
最近はテレビ映像の影響・効果が大きいです。例えば卓球の 福原 愛選手は、幼い頃より数多くの競技映像がありますが、これらの映像記録は卓球の魅力を
広めると同時に大衆に身近なスポーツにした効果があったと思います。
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40歳頃の卓球試合(後方右の選手が本人) |
(注)ピンポン外交:1971年(昭和46年)に日本の愛知県名古屋市で行われた 第31回世界卓球選手権の裏で、アメリカ合衆国と中華人民共和国との間で交わされた外交のことである。
翌1972年にニクソン大統領の中国訪問が実現し、中国は100を越える国々と国交を結んだ。
世界卓球選手権
神奈川県の卓球協会会長という立場から、2009年の横浜開港150周年にあわせて 「世界卓球選手権大会」誘致について関係先への尽力をしました。当時横浜に決定したことが大きな喜びでした。大会の運営も大成功に終わることが出来ました。
現在は中国が卓球世界チャンピオン国です。これは卓球への取り組み(ハングリ精神)とスポーツ社会への仕組みの差が大きいと考えられます。
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2009年世界選手権大会(右から3人目が本人) |
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今後の卓球への思い
「好きな卓球ゆえいまさら引くに引けない」という思いと、卓球9段の腕前を持っていますが、後進へのバトンタッチがこれからの大仕事と考えています。
現在、日本知的障害者卓球連盟の全国会長と若手育成のための「ホープス卓球後援会」の会長でもあり幅広く様々な若者たちの成長を願うものです。今年(2012年)は、ロンドンパラリンピック大会に関係者をつれて参加してきました。
現在息子も日本卓球協会の職員であり、競技者育成委員会の副委員長をしています。その嫁さんは、元全日本チャンピオンの輝かしい戦績をもっており、家族をあげて卓球に関わっています。
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競技会での役員挨拶 |
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▲リンク先
○日本卓球協会
○日本知的障害者卓球連盟 ホープス卓球後援会
○鎌倉シニア通信 鎌倉のお寺さん「貞宗寺」
○卓球とは
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