「山が動く鎌倉の春」
鎌倉といえば、自然に恵まれているところだというのが、最も大きな特徴でしょう。ですから、鎌倉に住む者がこれからも大事にしていかなければならないのは山、海、そして道ではないでしょうか。非常に多くの方が古都の散策、あるいは観光ということでやって来られますが、町並みという点では、昨今は鎌倉らしさと言うものが段々無くなってきたように思われます。建物自体はもう横浜であろうが、鎌倉であろうが、あまり違いがありません。そう考えた時に、鎌倉らしい部分といえるのは、やはり先述の3点なのだと私は思います。
海はもちろん大切な財産ですし、山を守るということは、すなわち社寺をも守るということです。山に抱かれて神社があり、お寺があるわけですから。ですがなによりも鎌倉らしい場所といえば道。切り通しでしょう。鎌倉はご存じの通り三方が山に、南が海に遮られています。山で分断されていた街に出入りするために、鎌倉時代、山を削って道、切り通しが出来たわけです。化粧坂や、朝比奈峠、釈迦堂口など。今では生活のための道の役割を県道などに譲ってしまいましたが、鎌倉の歴史を感じる一番の場所ならば切り通しではないか、そんな感じがします。
鎌倉のこの場所、というこの稿から逸脱したお話になるかも知れませんが、私にとって、鎌倉を歩いているといつも気になることがあります。それはこの八幡様の存在です。この八幡様にお勤めしている者、特有の感じなのかも知れません。「ここから見えないだろうか、ここからはどうだろうか」、と思いながら歩いてしまうのです。もちろん、鎌倉の至る所からこの八幡様を見ることは出来るのですが、中でも特に気に入っている場所があります。それは大町3丁目を奧に入り宝戒寺隧道を抜け、東勝寺橋の上手に至る坂道の途中からの景色です。残念ながら今では家並みの間から望む形になるのですが、新緑の季節には朱殿碧瓦が映え、なんともいえない心和む景色になります。
だから、というわけではありませんが、鎌倉の山は春が一番美しいのではないでしょうか。冬に葉を落として痩せた木々が、春に芽吹き、木と共に山までもが動き出す、そんな感じさえ受けるからです。そして山桜。山桜は、一斉に咲くのではなく、山のあちらこちらにぽつりぽつりと咲き始めます。「あの山のあんなところにも桜があったのか」と、咲いて初めて桜の存在に気付きます。私はそんなとき、いつも源頼政のことを思い出します。
この人は、私家撰集も撰んだ大変な歌人でもあります。彼は頼朝が旗揚げをした8月を待ちきれずに4月に旗揚げし、機が熟していなかったために敗れ、宇治の平等院に自害します。その頼政の詠んだ歌に、山桜を歌ったものがあります。頼朝の父、義朝が敗れて平氏が政権を握った時代、源氏は四散してしまいます。そんな頃、緑の中から顔を覗かせるように咲く山桜を見て「あぁ、あそこにも、われわれ源氏の仲間がいる」と、源氏を桜になぞらえて歌を詠んだわけです。ですから私も山桜を見ると、頼政もこんな景色を見て源氏の再興を願ったのだろうなぁと思うのです。
古都を包み込む山々の景色にそんな歴史の1ページを重ね合わせて楽しむ。それが鎌倉を楽しむ方法のひとつなのではないでしょうか。
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