■北鎌倉人
昭和20年代に北鎌倉に生まれ、建長寺境内を遊び場に育ちました。二小から二中にすすみ、学生時代はスキーに明け暮れ、大学はスキー部を卒業したといっていいくらいです。全日本にも出場し、県内では名をはせたものですが、最近は長野オリンピックのころに行ったきりですね。
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母が建長寺前で料理店を出していたので、大学卒業後二年間は京都の「美濃吉」で修行しました。最初は鍋洗いから始めて、最後は支店のサブマネージャーを務めました。
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はじめのころの話ですが、ナイロンたわしで鍋を洗うと爪まで磨けるので、爪を切る必要がないなどという経験もしましたし、後にはお料理の写真を撮ったりもしました。
25歳の時に鎌倉に戻り、鉢の木の仕事をするようになり、その後はずっと北鎌倉に住んでいますので、いわば「北鎌倉人」でしょうね。 |
■食の提供は天職
鎌倉に戻ってきたころは、ちょうどオイルショックの後で、鎌倉の様相も変わってきていました。
女性が働き出すころと重なっていたのです。女性が自分の使えるお金を持てるようになったのでしょうか。紫陽花のころを中心にして、鎌倉に人が集まるようになり、仕事も順調に伸びていきました。
オン、オフの区別なく動いているので、よく「休みがなくて大変ですね。」といわれるのですが、自分ではそういうことを感じたことがないのです。わたしの場合、幸せなことに、仕事と趣味が渾然一体となっています。
食というのは、ただ料理だけでなく、その周辺のものに目を向けると、実に多岐にわたることに関わりがあるものです。たとえば、場を盛り上げる器や絵画、庭の造作、茶会があればそれにかかわることなど、それらのすべてがわたしにとって仕事でありながら、楽しみでもあるのです。
このことは、職業そのものが社会奉仕であるというポリシーと通じるところがあって、食を通じて何かを人に伝えることができるのではないかと思っています。
■精進料理の真髄
近年、ますます健康に世間の関心が集まり、マスコミでも食のことがよく取り上げられています。思いますに、人間の健康によい食事というのは、地球の健康にもよいということですね。
話は大きくなりますが、これは食物連鎖を考えると重大な問題です。西洋料理が広まって地球全体が肉中心の食生活になると、穀物のほとんどが家畜の餌になってしまい、地球規模の食糧危機を招くことになるといいます。食物連鎖を崩し、地球環境のバランスを崩すことになるわけです。
健康によい食事というのは、自然風土に合った食事、つまり我々日本人が古来から食べてきているものを指すのでしょう。
その点で、日本の精進料理は、文献には鎌倉時代からある古いものでありながら、いまや時代の求める「地球にやさしい、人間のからだにもよい」食の形なのです。
「精進料理は自然と人間の知恵」と言えます。
その真髄は「自然に逆らわない」ことです。つまり
- その時期の旬のものを食べる
- その土地の地の物を食べる
- 食材を無駄にしない(活かし切る)
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わたしは、実際に精進料理を食べていただいて、「精進料理は味気ない」、という先入観を振り払ってもらいたいのです。そこで何かを得て帰ってもらえれば、こんなうれしいことはありません。 |
■鎌倉について
わたしはまず、鎌倉の住人であることを「しあわせ」だと思います。
それは、鎌倉にいるといろいろな人に会えるからです。つまり鎌倉にはたくさんの人が来てくださるからです。
昔は、「鎌倉は文学者や芸術家が住んでいるところ」というイメージがあったでしょうが、実際の鎌倉を知る人の数は知れていました。
今は情報社会ですから、雑誌やテレビ、新聞、インターネットで流れる情報によって、鎌倉の存在そのものが一般化したといえるでしょう。そのおかげで、鎌倉の知名度があがり、「鎌倉」に惹かれて訪れる人が増えたのではないでしょうか。
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修学旅行や遠足で初めて鎌倉に来たという人が多いと思いますが、その人たちが社会人になり、繰り返し何度も鎌倉を訪れてくださいます。サーファーとして、寺社めぐりや花見の観光客として、また音楽や文学を訪ねてという方もいるでしょう。みなさんがそれぞれの目的を持って来てくださるのです。
この鎌倉の多様性が、鎌倉の魅力といえるのかもしれません。
わたしたちも鎌倉の魅力をもっと高めるために行動していくべきでしょうね。
そして、待っているだけでなく何かを心に持ち帰っていただけるように努力したいですね。
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