青砥藤綱邸旧蹟
(あおとふじつな・てい・きゅうせき)
大正十年(1921)三月建之 鎌倉町青年会
碑文
鎌倉執権の美績を談ずる者 概(おおむ)ね先ず時頼 時宗を称す 蓋し(けだし: 恐らく)其の間 両代に歴任せる青砥左衛門尉藤綱が捕益の功に負ふ所のもの 亦(また)必ず少なからざるべきなり 藤綱逸話に富む 嘗(かっ)て夜行きて滑川を過ぎ 誤りて銭十文を水に堕(落)す 乃(すなわ)ち五十文を以て炬(たいまつ)を買ひ水を照らして之を捜れりとの一事 特に最も人口に膾炙(かいしゃ:話題)す 此の地は其の藤綱が居住の旧蹟なりと言ふ
説明
鎌倉の将軍の善い行いを言う時、大体まづ北条時頼(ときより)、北条時宗(ときむね)の名前がでます。しかしその間にあって、両将軍に仕えた青砥藤綱の業績が大きく貢献していることを忘れてはなりません。藤綱には、逸話が多くあります。ある夜のこと、滑川(なめりがわ)を渡るとき、失敗してお金十文(じゅうもん)を川に落としてしまいました。そこで、五十文でたいまつを買って、水を照らしてお金を探したと言う話は、特に多くの人々が話題にしました。この場所は、その藤綱の屋敷の跡であると伝えられています。 位置
浄明寺5-2-451の邸宅の南東端で,青砥橋を渡って20メートル進んで右側に建つ。