極楽寺坂
(ごくらくじざか)
昭和七年(1932)三月建 鎌倉町青年団
碑文
此所往古畳(重)山なりしを 極楽寺開山忍性(にんじょう)菩薩 疏鑿(そさく:切開)して一条の路を開きしと云う 即ち極楽寺切通と唱ふるは是なり 元弘三年(1333)の鎌倉討入りに際し 大館次郎宗氏 江田三郎行義は新田軍の大将として此便路に向ひ 大仏陸奥守貞直は鎌倉軍の大将として此所を堅め相戦ふ
説明
ここは昔は山々が重なっていた所でしたが、極楽寺を開いた僧の忍性(にんじょう)が一本の路を切り開いたと伝えられています。その極楽寺切通(きりどうし)と言うのはこの道のことです。 1333年に新田軍が鎌倉へ攻め入った時、その軍の大将大館宗氏(おおだてむねうじ)と江田行義(えだゆきよし)がこの道を進行して行きました。それを鎌倉軍の大将大仏貞直(おさらぎさだなお)は、この坂に陣をしいて相戦った場所であります。 位置
坂ノ下18-28付近で,成就院の参道石段の始まる付近の右側辺りに建つ