畠山重忠邸址
(はたけやましげただ・ていあと)
大正十二年(1923)三月 鎌倉町青年団建
碑文
正治元年(1199)五月 頼朝の女(むすめ)三幡(さんまん)疾(病)み 之を治せんが為 当世の名医丹波時長京都より来れる事あり 東(吾妻)鑑に曰(いわ)く七日 時長 掃部頭(かもんのかみ)親能(ちかよし)が亀が谷(かめがやつ)の家より 畠山次郎重忠が南御門(みなみみかど)の宅に移住す 是と此の地即ち其の南御門の宅の蹟なり
説明
1199年5月、源頼朝の娘が病気にかかり、これを治すために、当時一番の名医といわれた丹波時長(たんばときなが)を京都から呼びよせました。吾妻鑑(あづまかがみ)によると、7日に時長が、中原親能(ちかよし)の亀が谷(かめがやつ)の家から、 畠山重忠の南御門(みなみみかど)にある宅に移動した、と書いてあるが、この場所が南御門のその家のあった跡であります。 位置
雪ノ下3-2-19付近で,八幡宮の流鏑馬道の東側入り口の南端に建つ。