今宮
(いまみや)
昭和四年(1929) 鎌倉町青年団
碑文
四条天皇延応(えんおう)元年(1239) 鎌倉中処々喧嘩闘争の事あり 特にその五月二十五日には大騒動を起せしと云ふ 玄(この)日 後鳥羽院は隠岐に崩御し給ふ 由りて斯(これ)は其の怨念の然らしめし所ならんとて 宝治元年(1247)四月 大臣山の西麓に今宮を建て其院の尊霊を勧請(かんじょう:創設)し奉り 順徳院及び護寺僧長賢を合祀せらる 長賢は承久の役 官軍に属して奮戦 後捕はれて陸奥に謫(たく:流刑)せられし者といふ 今宮は又新宮と書す
説明
1239年に、鎌倉の街中の方々で喧嘩(けんか)や争いごとがあり、とくに5月25日には大騒動が起りました。 この日には、隠岐(おき)の島に流されていた天皇の後鳥羽院(ごとばいん)が亡くなったので、これはその恨(うら)みが原因だろうということで、 1247年4月に、大臣山の西の麓(ふもと)に神社を建てて、後鳥羽院の霊(れい)と、さらに順徳院と長賢の霊もあわせて祭りました。 これを今宮といい、新宮とも書きます。 位置
雪ノ下2-16-25,八幡宮西後方の鶴岡文庫から北へ150メートルに建つ