町屋址
(まちやあと)
昭和十一年(1936)三月建 鎌倉町青年団
碑文
此辺は往昔に於ける鎌倉繁栄当時の賈区(こく:商売屋)にして 其の中央の通街(つうぐ:大通)を大町大路と呼び 其他米町 辻町 魚町 名越等の区分あり 夫々町屋の在りし所とおぼしく 其称は屡々(しばしば) 東(吾妻)鑑に見え 今に其名を存す
説明
この辺りは、昔の鎌倉繁栄当時に商売屋が多く集まった所であり、その中央の大通を大町大路と呼んでおり、その他には、米町、辻町、魚町、名越などの区域がありました。それぞれの町屋のあった所と思われ、しばしば吾妻鑑(あずまかがみ)に書かれています。 現在でもその名前が残っています。 位置
大町2-3-2付近の道路に面した南側で,魚町橋の南20メートルに建つ。