万葉集研究遺跡
(まんようしゅう・けんきゅう・いせき)

 

昭和五年(1930)二月 宮中顧問官井上通泰撰 菅虎雄書 鎌倉町青年団建碑


碑文

此地は比企谷(ひきがやつ)新釈迦堂 即将軍頼家の女(むすめ)にて将軍頼経の室なる竹御所(たけのごしょ)夫人の廟(びょう)のありし処にて 当堂の供僧なる権律師(ごんのりっし)仙覚が万葉集研究の偉業を遂げしは実に其僧坊なり  今夫人の墓標として大石を置けるは 適(まさ)に堂の須弥檀(しゅみだん)の直下に当れり 堂は恐らくは南面し 僧坊は疑はくは西面したりけむ  西方崖下の窟(いわや)は仙覚等代々の供僧の埋骨処ならざるか 悉(詳し)くは 万葉集新考 附録 万葉集雑攷(考)に言へり

説明

この場所は、比企谷(ひきがやつ)の新釈迦堂(しんしゃかどう)があった所で、将軍頼家(よりいえ)の娘であり、また将軍頼経(よりつね)の妻でもあった竹御所(たけのごしょ)夫人の墓のあった場所であります。 この堂の僧である仙覚(せんかく)が万葉集について立派な研究を行ったのは、この堂においてでありました。現在の夫人の墓として、大石が置いてあるところは、ちょうど堂の仏壇の直下に当ります。 堂は多分南に面し、僧侶の住む建物は、西に面していたと思われます。西の方の崖下の岩屋は、仙覚など代々の僧侶の骨を埋めた所と推定されます。詳しいことは、「万葉集新考 附録 万葉集雑考」に書かれています。
位置
大町1-15-1妙本寺の奥にある祖師堂の左のハイキングコース入り口前に建つ。


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