大江広元邸址
(おおえひろもと・ていあと)

 

大正十四年(1925)三月建 鎌倉町青年団


碑文

大江氏 奕世(えきせい:累代)学匠として顕(あらわ)る 嘗(かっ)て匡房(まさふさ) 兵法を以て義家に授く 広元は其の匡房の曽孫(ひまご)なり 頼朝に招かれて鎌倉に来り 常に帷握(いあく:中枢)に持し 機密に参画す 幕府創定の功 広元の力与りて多きに居り  相模毛利荘を食む(俸禄す) 子孫依りて毛利を氏とす 而 (しこう)して因縁奇しくも 此の幕府創業の元勲が七百年後の末裔は 王政復古に倡首(しょうしゅ:先導)たり 此の地即ち其の毛利の鼻祖(始祖) 大膳大夫の邸址なり

説明

大江(おおえ)氏は、代々学門の家柄です。大江匡房(まさふさ)は、そのむかし源義家に、兵法を教えたといわれており、大江広元は匡房のひまごにあたります。広元は頼朝に招かれて鎌倉に来てからは、常に政治の中央におり、 幕府を創るのに当っての功績は広元による所が大きいといわれています。そして神奈川の毛利に領地をもらって、毛利を名乗りました。しかし皮肉にも、この鎌倉幕府を創った功績者の子孫は、700年後の明治維新の時、天皇制の復活運動に活躍しております。  この場所がその毛利の先祖の家の跡であります。
位置
十二所921の邸宅の西北端で,明石橋の傍にあるガソリンスタンドの北側を70メートル行った右側に建つ。


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