太田道灌邸旧蹟
(おおたどうかん・てい・きゅうせき)

 

大正十年(1921)三月建之 鎌倉町青年会


碑文

此の地は武略(軍略)文藻(文才)兼備へ忝(かたじけな)くも 武蔵野は萱原(かやはら)の野と聞きしかどかかる言葉の花もあるかな テフ(と言う)叡感(天皇の感歎)にさえ預りたる道灌太田持資(もちすけ)が江戸築城前の邸址なり  寛永十一年(1634)今の英勝寺と為る其の創立者水戸藩祖頼房(ともふさ)の准母(内親王)英勝院は道灌の嫡流太田康資の女(むすめ)なるより晩年将軍家光より特に此の地を授りて之に住するに至れるなり  孤鞍(単騎)雨を衝(つ)いて茅茨(ぼうし:茅葺家屋)を叩く少女為に遣(や)る花一枝 の詩趣ある逸話は道灌が壮年猶此に在りし日に於て演ぜられし所のものなり

説明

この場所は、太田道灌(どうかん)が、江戸城を築く前に住んでいた屋敷の跡です。道灌は、軍略と文才を兼ね備えた人で、「武蔵野は、萱原(かやはら)の野と聞きしかど、かかる言葉の花もあるかな」と、天皇にも誉められる程の人でした。。英勝寺は1634年に、 水戸藩を開いた徳川頼房(よりふさ)の乳母(うば)でもあった英勝院によって建てられました。その英勝院は道灌の子孫である太田康資(やすすけ)の娘で、晩年になり、徳川家光から特にこの地を授りて受けてたものです。太田道灌が一人で馬に乗り、雨の中を駈け、 萱葺(かやぶき)きの人家の前で雨具を乞うと、少女が山吹の花一枝を差し出した、という故事は、この場所に住んでいた頃の逸話です。
位置
扇ヶ谷1-16-3英勝寺の山門前右側に建つ。


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