理智光寺址
(りちこうじ・あと)
昭和七年(1932)三月建
鎌倉町青年団 金羊書
碑文
此所は願行上人を開山とせし 五峯山理智知光寺の址なり 建武二年(1335)淵辺伊賀守義博は足利直義の命を承け 護良親王を誅(ちゅう:殺)し奉りしが 其御死相に怖れ 御首を傍(かたわ)らなる薮(やぶ)中に捨て去りしを 当時の住僧拾い取り 山上に埋葬し奉りしといふ
説明
この場所は、僧の願行上人(がんこうしょうにん)が開いた五峯山理智光寺の跡であります。1335年に淵辺義博(ふちのべよしひろ)は、足利直義(なおよし)の命令で、護良(もりなが)親王を殺害しましたが、その死に顔のすごさに怖れ、 首をかたわらの藪(やぶ)中に捨てました。それを当時の僧侶が拾い取って、山の上に埋葬したと言うことです。 位置
二階堂754,鎌倉宮テニスコートから,その南にある理智光寺橋を渡り,100メートル先にT字路があり,その西北部空地に建つ。