染屋太郎大夫時忠邸址
(そめやたろうだゆう・ときただ・ていあと)
昭和十四年(1939)三月建 鎌倉町青年団
碑文
染屋太郎大夫時忠は藤原鎌足の玄孫(やしゃご)に当り 南都東大寺良弁(りょうべん)僧正の父にして 文武天皇の御宇(697‐707)より 聖武天皇の神亀年中(724‐728)に至る間 鎌倉に居住し 東八箇国の総追捕使(そうついぶし:総令外官)となり 東夷を鎮(しず)め 一に由比長者の称ありと伝へられれも 其事蹟詳(つまびらか)ならず 此処の南方に長者久保の遺名あるは 彼の邸址と唱へらる 尚甘縄神明宮の別当甘縄院は時忠の開基なりしと云ふ
説明
染屋時忠は、藤原鎌足(かまたり)の4代目の子孫に当たり、父親は奈良東大寺の僧の良弁(りょうべん)であります。文武天皇の時代(697-707)より聖武天皇の時代(724-728)の間、鎌倉に住み、関東諸国の総司令官でありました。また東北地方も安定させました。また由比長者といわれたそうですが、詳しいことは分かりません。ここの南の方に長者久保と言う地名があるのは、屋敷の跡であるといわれています。また甘縄神明宮の甘縄院は時忠が建てたものと伝えられています。 位置
長谷2-4-1付近の邸宅の道路に面する一角に在り,文学館交差点から東南に10メートル入った右側に建つ。