州崎古戦場
(すざき・こせんじょう)
昭和三十一年(1956)三月建 鎌倉友青会
碑文
此の辺り古の州崎郷に属す 元弘三年(1333)五月新田義貞鎌倉攻の折 その武将堀口三郎貞満・大島讃岐守守之州崎口より攻む 鎌倉方は赤崎相模守守時を将として邀撃(ようげき:迎撃)し 戦闘六十数度 遂(つい)に敗れ守時以下九十余人自刃したる古戦場なり
説明
この辺りは、昔は州崎と言う地名でした。1333年5月に、新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉を攻め落そうと、武将の堀口貞満(さだみつ)と大島守之(もりゆき)が州崎口より攻め込んできました。一方鎌倉方は、赤崎守時(もりとき)を武将として迎え撃ちましたが、60回以上の合戦のすえ、ついに鎌倉側は敗れました。この時、守時はじめ90人以上が自殺したといいます。この辺りは、その戦場の跡であります。 位置
寺分448付近で,湘南モノレール深沢駅東南の富士塚小学校入口交差点から100メートル登った(モノレールの橋脚4本目)道路沿左側の角に建つ