聖福寺址
(しょうふくじ・あと)
昭和九年(1934)三月 鎌倉町青年団建
碑文
聖福寺は建長六年(1254)四月 関東の長久並に北条時頼の息時輔(幼名聖寿丸) 時宗(幼名福寿丸)の息災延命の為建立せしものにして 其の寺号は両息の名字に因みしものと伝へらるるも 廃寺の年代詳(つまびらか)ならず 此谷を聖福寺谷と呼ぶ
説明
聖福寺は1254年4月に、北条時頼(ときより)により建てられた寺です。その目的は、鎌倉幕府が長く続くことと、時頼の2人の息子、時輔(ときすけ、幼児の名前:聖寿丸[しょうじゅまる])と時宗(ときむね、 幼児の名前:福寿丸[ふくじゅまる])が病気をせず長生きできることとを願うためでした。寺の名前は、2人の息子の名前を採ったものと伝えられていますが、この寺が廃止された時期よく分かっていません。 この谷を聖福寺谷(しょうふくじがやつ)と呼んでいます。 位置
稲村ガ崎5-39-6付近で,正福寺公園の東北端に建つ。