主馬盛久の頚座
(しゅめもりひさ・の・くびざ)
昭和十年(1935)三月 鎌倉町青年団建
碑文
盛久は主馬入道盛国の子にして 平家累代の家人なり 然るに平家滅亡の後 京都に潜(ひそ)み 年来の宿願とて清水寺に参詣の帰途 北条時政 人をして召捕へしめ 鎌倉に護送し 文治二年(1186)六月 此地に於て斬罪(ざんざい)に処せられんとせしに奇瑞(きたん:奇跡)あり 宥免(免除)せられ 剰(あまつさ)へ頼朝其の所帯安堵の下文を給ひしと言う
説明
主馬(しゅめ)とは、馬や馬具の管理をする役職を言います。盛久は、平家に代々仕えた主馬盛国(しゅめもりくに)の子であります。平家が亡んだ後、盛久は京都に隠れて、清水(きよみず)寺で願を掛けていたるのを、北条時政(ときまさ)に捕えられ鎌倉に送られました。 そして1186年6月に、この場所で処刑しようとした時、刀が折れ散るということなどが起きたため、許されました。 それどころか、頼朝から領地を与えられたと言うことです。 位置
長谷1-7-2付近で,長谷東町バス停の西50へメートルの北側に建つ