俊基朝臣墓所
(としもとあそん・ぼしょ)
大正六年(1917)三月建之 鎌倉町青年会
碑文
藤原俊基朝臣の朝権の回復を図りて成らず 元弘二年(1332)六月三日 北条高時の害に遭ひ 秋を待たで葛原岡に消ゆる身の露の恨や世に残るらん と永き恨を溜(た)めたるは此の処なり
説明
藤原俊基(としもと)は、政治権力を鎌倉幕府から朝廷へ取り戻そうと計画しましたが、このことが見つかり、捕らえられ鎌倉に送られました。そして1332年6月3日に、幕府の命令により、この場所で処刑されました。 その時の辞世の句が「秋を待たで葛原岡(くずはらがおか)に消ゆる身の露の恨(うらみ)や世に残るらん」であり、このは深い恨を残した場所です。 位置
梶原5-9-1,源氏山葛原神社の南方100メートルの所に在る墓所に建つ。