碑文
佐々目が谷の東南に方(あた)り路傍二所に古き石塔建てり 辻に塔ある故に塔之辻と言ふらん伝え云 昔由比の長者太郎太夫時忠の愛児三歳の時 鷲(わし)に攫(さら)はれ追求すれども得ず 父母の悲痛措(お)く処を知らず
散見せる片骨塊肉を居るがままに 是れや吾児の骨 彼れや吾児の肉かと思ひつゝ所在に塔を建てゝ之を供養し 以て其の菩提を祈れり 是の故に鎌倉諸処に塔の辻と言う処あり 此処(ここ)も其の一なりと 或は言う 往時の道標ならんと
未だ其の何れか真なるかを知 らず
|
説明
鎌倉の長谷の近くに、佐々目が谷(ささめがやつ)という地区があります。その東南の方向の道ばたに、古い石の塔が建っています。辻に塔があるので、塔之辻と言うと伝えています。その昔、由比の長者時忠(ときただ)の子供が3歳の時、鷲(わし)にさらわれ、
追っかけたけれどもつかまらず、両親の悲しみは大変なものでした。散らばっている肉片などを見つけると、これは我がこの子の骨ではなかろうか、あれは我が子の肉ではなかろうかと、その所々に塔を建てて、供養(くよう)しました。
それで、鎌倉のあちらこちらに塔の辻と言う所があり、ここもそのひとつであろうといいます。またある人は、昔の道標であろうと言います。いずれが本当かは分かりません。
|