若宮大路幕府旧蹟
(わかみやおおじ・ばくふ・きゅうせき)
大正七年(1918)三月建之 鎌倉町青年会
碑文
鎌倉の幕府は初め大蔵に在りしが 嘉禄(かろく)元年(1225)政子の薨(こう:死)ずると共に 将軍藤原頼経(よりつね)之を宇都宮辻(うつのみやつじ)に遷(移)し 後(のち)十一年にして 嘉禎(かてい)二年(1236) 再び此の地に遷(移)す 爾来(じらい:以後)九十八年 頼経以後六代の将軍相継ぎて政(政治)を此に聴けり 元弘(げんこう)三年(1333) 新田義貞(にったよしさだ)の鎌倉に乱入するに及びて廃絶(はいぜつ:滅亡)せり
説明
鎌倉幕府は初め大蔵にありましたが、1225年頼朝の妻の政子が死ぬと、将軍藤原頼経(よりつね)は幕府を宇津宮辻(うつのみやつじ)に移動させました。その11年後の1236年には更にこの場所に移動させました。 それ以後98年間、頼経(よりつね)以後六代の将軍が相継いでここで政治を行いました。 1333年新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉に攻め入ったことにより亡びました。 位置
雪ノ下1-11-22付近で,宝戒寺から南へ100メートル進み,小道を右折し100メートル進んだ曲がり角の右側に建つ