碑文
宿谷左衛門尉光則は 北条時頼の近臣なり 文応元年(1260)七月十六日 日蓮聖人 立正安国論を時頼に上(奉)らんと欲し 光則を長谷の邸に訪ひ縷々(るる:詳細に)其の趣旨を説き之を手交(手渡)す 聖人竜口法難の時
最愛の弟子日朗(にちろう)の囚(とらえ)へられたるは 邸後山腹の土牢にして 億万斯年師孝(苦行積重)の哀話を刻す 光則深く聖人に服し 遂に邸を寄せて寺を創む 実に此の光則寺なり 過ぐる人其れ襟(えり)を正して当時を追懐せよや
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説明
宿谷光則は、北条時頼(ときより:1227-1263)に仕えた役人でした。1260年7月16日に、日蓮聖人(にちれんしょうにん)は、立正安国論(りっしょうあんこくろん)という論文を時頼に渡してもらおうと、長谷にあった光則の家を訪ねました。
そしてその理由を詳しく説明してから、その論文を光則に手渡しました。日蓮聖人が竜口(たつのくち)で処刑されようとした同じ時期、最愛の弟子である日朗(にちろう)も捕らえられ、この家の後の山腹にある土牢に入れられました。
光則は深く日連聖人を信じ、自分邸宅を提供して、寺を建てました。それがこの光則寺であります。これらのことを心を正して思い出してください。
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