永福寺旧蹟
(ようふくじ・きゅうせき)

 

大正九年(1920)三月建之 鎌倉町青年団


碑文

永福寺世に二階堂と称す 今 に二階堂なる地名あるは是が ためなり 文治五年(1189)  頼朝奥州より凱旋(がいせん) するや 彼の地大長寿院の二 階堂に擬(も)して之を建立す  輪奐(りんかん:壮大)荘厳洵 (まこと)に無双の大伽藍(がら ん)たりきと云う 亨徳(きょ うとく)年間(1455)関東官領の 没落せる頃より後 全く頽廃す

説明

永福寺のことを当時は二階堂 といっておりました。現在で も二階堂という地名があるの はこのためです。1189年に源 頼朝が、義経をかくまった件 で平泉の藤原一族を討ち、鎌 倉に帰ってきました。その後 すぐに、平泉にあった大長寿 院の二階堂に似せて、ここに 永福寺を建てました。その寺 の様子は、規模が壮大で外観 も荘厳であり、本当に二つと ない程の大建造物であったと いいます。しかしこの寺は、 1455年以後の関東官領(かん れい:将軍の代理職)の力が弱 くなった頃から急速にすたれてしまいました。
位置
二階堂148付近の鎌倉宮カントリーテニスコートの東南端 の道路の北側に建つ


Copyright (C) Kataoka & Hattori / Kamakura Citizens Net 2001 All rights reserved.