忍び寄ってきた「老い」
やや豊満ではあるが、とりたてて病気で入院したこともなければ、持病らしきものもなかった私だが、今年だけは違う。齢(よわい)も50数年を数えれば、いたしかたないが----。さらに豊満度に磨きがかかったので、2月頃懸命にトレーニングしたが、だらしない話、筋肉痛で続行不能。そしてその後に残ったのが右腕のシビレ。他人に相談すると「脳梗塞」等の場合がその症状にあてはまると脅かされ、診て頂いた。幸い、そちらは何でもない様だが、糖尿病だと指摘され、大ショック。父親がお酒も飲めず、甘い物大好き人間でヨウカンを一晩にひとりで一本食べるヒトだったが、糖尿病のかけらもなかった。そのことからして「私は絶対、糖尿病にはならないんだ」との強い信念に裏打ちされて、気ままな食生活をしてきた。私はひとつ見落としていた。母親が糖尿病だった。遺伝子的には充分であった。また話によれば人類は遺伝子的に糖尿病のそれをもっているらしい。
医者に糖尿病の恐ろしさを説明されれば、食生活の改善、運動療法をやらずにはいられない。一週間で2kg体重が減ったし、動きも良い気がする。無頓着、野放図な今までの食生活から較べれば、自分を褒めてやりタイ位の毎日だ。
神は人類を7日間で創られたそうだ。もう少し時間を費(か)けて欲しかったという気もするが、マア、よく出来ている。私は現代病の多くは『自己撞着』的な原因ではないだろうかと素人考えで思っている。機能的に、精神的に、神の想像力を超えた人類の繁栄ぶりが問題なのかも知れない。食品添加物、防腐剤等々、さすがの神も気付かなかったに違いない。いやいや、神も先刻ご承知で、ソッとDNAの中に、人類が長時間かけて解決すべき遺伝子を忍び込ませて置き、深く思考する時を与えたのかも知れない。
そんな遠大な話はともかく、私にとっては「一病息災」の生活とつきあっていかねばならなくなった。前に突き出たお腹とは別に、上腕などは次第に筋肉が落ちていて、鏡の前で自らの老いをいやでも確認させられる。この自然の法則に逆らっていくには、柔軟な若々しい思考とトレーニングを自らに課し、雄々しく立ち向かうことにする。やれやれ。
(A・M)
鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成13年8月号掲載
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