夜書く文章は・・・
未だ朝の気配の残る道を鎌倉山のロータリーに降りて行くと、バスを待つ数人の人々が所在なげに並んでいて、車が来る度に首を伸ばしてその方をみやる。何気ない風景だが東京から越してきたきた者にはその周辺の風景と合っていて、とても新鮮で心地よい。都会のバスとも違う様子が鎌倉の朝を特別なものにしている。最近こうしたステキな日常の風景は実はとても意味深く思えてならない。
20世紀最大の表象は一九六九年のアポロ11号の月面着陸であろう。余りにも有名な「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては巨きな飛躍」「神によって与えられたこの頭脳と両の手を極限にまで伸ばしているのです」。
私たちが日常生活の中で有り余る時間を楽しんでいる間に、人類という別の生き物は『環境』という最も難しい領域に踏み込んでいるのだ。彼らが手にした高等技術文明を駆使して、おそらくはこの広い宇宙でたったひとつ(と信じているが)生命にとって最も安定した環境(地球)で、その進化をほしいままにし、発展してきたモノのその行きつく先として何を志向しているのだろうか。
コンピュータの出現で、今まで処理し切れなかった事柄が瞬時に片づけられ、マジックを見るように私たちの生活も進化していった。それと同時に処理すべき案件も20世紀後半から増えていった。
生物が海から陸に上がった時、すべての生物がそのまま生活できた訳ではないようだが、それにも似た環境の変化がこの世紀には起きている。それが全ての人々に快適をもたらしているとも言い難い。それはやはり、すべての動きは『人類の存在そのものを問い直している』ことにほかならない。「何処から来て、何をしようとして、何処へ行こう」としているのか−−−。
やがて私たちの生活も情報家電に取り囲まれての生活になる。ここ2、3年のことであろう。それに向かって準備されている技術は相当なものであって、科学する人間の心を充分に満足させられるであろう。と、同時に「なぜ?」という問いかけも益々大切になっていく。それを発する心こそ『人間そのもの』と思われるからである−−−。
深まりゆく秋の気分と夜の空を眺めるという感傷的な心が、普段、思いつきもしない大仰(おおぎょう)なことを考えはじめる。
(A・M)
鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成13年10月号掲載
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