何をか言わん
二十一世紀、最初の一年が終わった。
人々の願いも空しく、世界は平和の方向に動くどころか、又しても、恐ろしい戦争の時代になってしまった。
一年前の今頃は、戦争の世紀と言われた二十世紀がやっと終わって、明るい時代を迎えられるかという希望を、誰もが心に抱いていた筈なのに、世の中仲々そうは問屋がおろしてくれない。遂々わが国の自衛隊も、後方支援とやらで、戦争に参加することになってしまったのだから、まさに逆戻りである。すべては、あの人間の考えも及ばないような事件からである。
どうも人類というものが、どうかしてしまったと思えてならないのである。事件とか、犯罪とか、長生きしていると結構いろいろ見たり聞いたりしてきたが、どうしてこんなことが、と全く理解出来ないことが去年の出来事の中で、二つ頭に残っている。一つは勿論、同時多発テロというあの行為であり、もう一つは、あまりにも次元が違いすぎるが、私には不思議でならない、遺跡発掘にまつわる某考古学者の行為である。目的のために手段を選ばず、ということは、昔からよく言われることだが、このテロの場合の手段を選ばずは、人間が人間を否定しているというか、人間のすることとは到底思えない。誤解を恐れずに言えば、全く無関係の多くの人を道連れにしたことを除けば、自らの生命を無にして、ビルに突入するという行動の底にある信念はそれなりに理解できる。然し、もうひとつの方はどうであろう。某似非学者の行為の底にあるものは、余りにもバカげた、単なる売名行為としか思えない。いい大人が、早朝か深夜か知らないが、泥棒みたいに一人ひそかに発掘現場に忍びこみ、にせものを埋め込む、その姿をイメージするだけでも、何とも陰湿でやり切れない。こんな男が、同じ人間仲間かと思うだけで吐き気がする。
いま、全世界の人々が、テロという行為に脅えて、自由を束縛されている。許されることではない。しかも、それに対抗する手段が戦争というのも、悲しい。哀れな、一考古学者の行為の方は、もはや忘れられかけているようだが、考古学全体への侮辱と、遺跡周辺の人々への背信と、これも又有形無形に大きな傷を残している。
新しい世紀が、人間の善意や、人間同志の信頼を失うようになってはならない。
(S.Y)
鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成14年1月号掲載
|