戦中派
旧制の中学から大学の予科へ進学する制度だった頃、しかも予科在学中に終戦(一九四五年)を迎えるという、学生々活を謳歌するには程遠い時代が、私たちの学生時代であった。私たち、と書いたのは、その頃の友人グループのその後の人生のことを、書きとめておこうと思ったからだ。私を含めて六人、六游会と名付けていた。游は遊ぶではなく、学ぶ(游学という言葉がある)の意味である、と屁理屈をつけての命名だが、実態は殆ど「遊ぶ」ばかりだった。一人を除いて、五人は軍隊に刈り出された。戻ってくる時期がまちまちだったから、卒業に半年か一年の差が出来た。何れにしても、昭和二十二、三年のことで、この日本でどう生きればいいのか、誰にも仲々答えが見つからない、そんな時代だった。一番若いA(私を除く五人を、仮にAからEとしよう)は、一部上場の会社に就職したのに、金銭上の失敗でクビになり、その上人妻との不倫から又しても金のトラブルを起し、水商売に入った。よく働く妻を得て、共稼ぎでようやく人生を取り戻しつつあったのに、商売柄と元々好きなアルコールに再び溺れ、妻の眼を逃れての盗み酒を重ねて、ひとり自宅のベッドの上で人生を終えた。
鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」 平成15年3月号掲載 |
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