鎌倉の海
五月のなかば過ぎというのに、セーターの欲しいくらいの肌寒さで、たれこめた曇り空の下の由比ガ浜は、にも拘わらず、和やかなやさしい空気が漂っていた。昨年から始まった「ビーチフェスタ」が、今年は二日間に日程を広げて開催された。
(五月十七、十八日)
鎌倉商工会議所会頭の久保田雅彦さんが陣頭指揮をとり、観光協会や青年会議所、市の商工観光課などの協力で行われたこの催しは、久しぶりに、休日を浜辺でのんびり過ごすという鎌倉らしい風景を甦らせてくれた。
そう言えば、鎌倉のカラーが、海の青さから里山の緑に変わったのは、いつ頃からであろうか。戦後六十年鎌倉の地図は、開発された新地域に次々と宅地造成が行われたことで、一変した。このままでいいのか、市民の意識が変わった。その間、海は昔のままであった訳ではない。人口増加に伴う生活廃水によって汚染され、掬うと指の間からサラサラとこぼれるようなきれいな砂浜も失われていった。海の銀座と言われ、海水浴のメッカであった鎌倉の海は、私鉄のアクセスのいい三浦海岸や鵠沼海岸の急速な発展によって、色あせてしまった。その上時代は車社会に変り、駐車場の不備が追い打ちをかけた。残念乍ら鎌倉の海は、灰色の時代が長く続いた。(たった一つ、八月の花火大会を除けば)
海を背に設けられたステージの前には、木製のデッキチェアが並べられ、その後ろには白い丸テーブルとチェアがしつらえてあった。若い頃、ビーチパラソルの花を咲かせ、隣り同志気軽に会話を交したようないかにも鎌倉風の老夫妻が自由に坐って、コーヒーを呑みながらステージのフラダンスとハワイアンのメロディに、懐かしげな表情を浮かべている。三、四歳の子供を連れた若夫婦が、砂像づくりを愉しんでいる。長い間このまちに住んでいながら忘れていた鎌倉の良さと、若き日の思い出にひたり、若いカップルたちは鎌倉の海辺の魅力を発見し、この土地に住んだことに喜びを感じているように見えた。駐車場に並んだ模擬店は、地元の人々が殆どで、顔馴染みの人同志声を掛けあって、明るい会話が飛び交う縁日さながらの賑わいを見せる。
自分たちの住むまちが、一部の無作法な観光客によって生活環境を乱されたりすることも否定は出来ないが、顰蹙(ひんしゅく)ばかりしていないで、自分たちで楽しい時間と空間を作り出していくようにすれば、考え方も変わってくるのではなかろうか。
ビーチフェスタが終わった後、自発的に海辺のごみを拾って下さった市民の方が大勢いた。まだ始まったばかりのこのイベントだが、鎌倉に新しい兆しを齎(もたら)してほしいと願っている。
(S・Y)
鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成15年7月号掲載
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