ある日曜日の午後
今年は閏(うるう)年である。言うまでもなく、平年365日より1日長い、366日の1年である。
釈迦に説法だが、地球が太陽を1周するのは、365日5時間48分46秒だそうで、その端数を積み重ねて4年に1回2月を29日にしている。なぜ、2月にふやしたのかは知らない。
何気なく、大事典DESK(講談社刊)をめくって「閏」の項をみたら、閏年をつくると、4年で逆に0.03日長くなるので、400年で3回は閏年になるべき年を平年とするとの記述があった。初耳である。閏年と言えば、オリンピック、現代人にとってはそれだけであろうが、そうすると閏年でない年のオリンピックということもあるのかもしれない。
2月29日が誕生日だったり、命日だったりする人はいくらでもいるだろうが、400年に3回のどれかにぶつかると、4年に1度のお祝いやら法事もあと又4年は巡ってこないことになってしまう。私の短い人生では、まだそういう年に出会ってはいない。
鎌倉に住んでおられ、大正、昭和の文壇では菊地寛と並ぶ大御所だった久米正雄(1891−1952)は、閏日2月29日が命日である。戦後の鎌倉で、多くの鎌倉文士が華やかに活躍していた頃、久米さんはまさにその中心人物で、鎌倉というまちの戦後復興や文化発展にとって決して忘れてはならない方である。私自身も一生の仕事となった映画の世界に入る時、大変ご恩を受けた方である。今年は折よく日曜日でもあったので、墓詣りに伺った。瑞泉寺である。梅、まんさく、早咲きのしだれ桜、水仙と、花の寺としても著名な瑞泉寺の寺内は、特別に庫裡の建物の中を通らなければ行けない、鎌倉名物のやぐらをひとつ抜けて、竹林を横に見ながらゆるい坂を少し上った所にひっそりとある。52年の歳月は、墓石についた苔にしみこみ、行楽客たちのざわめきもここには届かず、まことに静寂そのものであった。久々に大下一眞老師ともお会いし、お抹茶を一服馳走になった。法事のない、こんな静かな日曜日はめったにない、と老師は苦笑まじりに言われた。帰り途、新しく出来た墓苑が年ごとに広がっているのを見て、さこそと思った。
門前の受付に、古い撮影所仲間が2人座っていた。定年退職して、家が近いからと、半分ボランティアで働いているとか。1年に1回も会わないだろうが、顔を見合わせただけで、すっと昔と変わらない会話になった。それも又、心を和ませてくれた。これが鎌倉の休日だと思った。
何となく心楽しくなって、尻ごむ妻をむりやりに、バスを待たずに家まで歩くことにした。
2月にしては暖かい、日曜の午後であった。
(S・Y)
鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成16年5月号掲載
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