鎌倉文学館(一)

BBギャラリー鎌倉美学より転載:柴田寛之さん撮影(鎌倉市在住)  鎌倉文学館の三階から見る海は、さまざまな表情を見せてくれる。
 今年の六月は、颱風の影響をうけて、二度程荒々しい姿を見せた。かなりの沖合から白い波頭が次々に浜辺に押し寄せてくる。波打ち際はまちの屋並みにかくれて見えないが、視野に入る限りの由比ガ浜の海が、ゆれ動いているように思える。はるか彼方の水平線は、梅雨曇りの空の中に吸いこまれてしまったようにはっきりとは見えない。第一、いつもなら海面を埋めつくしている色とりどりのサーフィンの帆が一つも見えない。
 晴れた日の海は、華やかに美しい。ボードに乗っているサーファーたちの表情までは見えないが、若者たちのカン高い叫び声が聞こえてくるように思える程、赤、黄、青とまさに原色の帆が右に左にすべるように動いている様子が手に取るように見えて飽きさせない。
 ”鎌倉はやっぱり海辺の町だなあ”と、改めて感じる。三階の窓を開け放って、まともに浜風を受けながら海を眺めて、アッと言う間に二ヶ月が過ぎた。鎌倉のケーブルテレビだけでも十三年間、若いサラリーマン時代から数えると五十六年間、一口に言えば、ただひたすら地面を見つめながら歩いてきたような気がするので、まさしく別世界である。
 図らずも、鎌倉文学館の館長の職をお受けすることになり、不規則ながら週二日文学館に行っては、この眺めを満喫している。八十年近く鎌倉に住んでいながら、こんな最高のビューポイントで椅子に座っていられるなんて、有難いというか、勿体ない気がする。
 それもその筈である。ここは、加賀百万石の大大名、前田家(もと侯爵)の鎌倉別邸であったのだ。戦後の一時期は、佐藤栄作元総理が、屡々(しばしば)静養にこられていたそうだ。何だか、無礼者、下りおろう、と叱られそうである。屋内からの眺めのことばかり書いたが、表へ出て、広い芝生のなだらかな勾配の中程に立ち、振り返って建物全景を見ると、これ又素晴らしい。恐らく、鎌倉に現存する古い洋風建築の最上位の建物であろう。現在の建物は、昭和十一年(一九三六年)に、第十六代当主の利為(としなり)氏により再建されたもので、その後、昭和五十八年(一九八三年)に、第十七代の利建(としたつ)氏より鎌倉市に寄贈され、二年後の昭和六十年(一九八五年)、鎌倉文学館として一般に公開されたものだ。瑠璃色の屋根瓦が、木造建築(展示室部分は一部鉄筋コンクリート造り)独特の褐色の木の枠組みの中の白壁と見事にマッチし、加えて三方を鎌倉の所謂谷戸と呼ばれる低い山々の濃い緑に囲まれて、落ち着いた雰囲気の中に、ゆったりと明治大正の香りを残して、何とも爽やかな気持ちにさせてくれる。平成十二年(二〇〇〇年)には、国登録有形文化財に指定された。
 自画自賛の中に頁数がつきた。鎌倉文学館の由緒・来歴については、まだまだこれから語らねばならぬ。

山内 静夫
(鎌倉文学館館長)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成16年8月号掲載
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