鎌倉文学館(二)
誕生秘話
鎌倉文学館の誕生までの前史に触れてみたい。 昭和五十六年九月十日、鎌倉市長渡辺隆氏が急逝した。昭和五十三年に、革新市長正木千冬氏を破って市長に就任したのに、ガンに侵され僅か三年、六十二歳の若さで世を去った。同年十一月一日、小島寅雄市長が誕生する。長く教育畑を歩き、教育長からの市長就任で、文人市長と呼ばれた方である。文学館建設には、鎌倉文士の人たちの間にも、消極論があったとも聞くが、小島市長の人柄と文学への熱い心が、作家たちの理解を深めたであろうことは想像に難くない。良寛を愛し、野ぼとけを愛した小島さんは、地位や権威には淡々としていた。一期四年が過ぎ、任期満了に伴う市長選が行われたのが昭和六十年十月二十八日、小島市長は破れ、中西功市長が誕生した。初代文学館長永井龍男先生も、小島市長と一緒に文学館の開館を迎えたいと思っておられたに違いない。当時のことをくわしくは知らないが、恐らく永井先生の心づかいと、中西新市長や関係者たちの配慮であろう、 十月三十一日 鎌倉文学館開館 十一月一日 一般公開 となったのである。 心温まる話である。鎌倉を誇らしく思える見事なお裁きではないか。現在の職員のひとりに聞いた話だが、鎌倉文学館記念パンフレットは、小島市長の挨拶の載った十月三十一日、一日だけのための、パンフレットがあるという。 当然のことではあるが、今日の世智辛い世の中からみると、何と筋の通った、折り目正しいことか、頭の下がる思いである。 山内 静夫
(鎌倉文学館館長)
鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」 平成16年9月号掲載 |
▲TOP |