文学の香り漂うまち

 鎌倉文学館では、この10月1日より、開館20周年記念展として、「文学都市かまくら100人展」を開催する。世に謂う鎌倉文士華やかなりし頃、1950年代を中心に、明治から現在まで、約100年間の鎌倉に関わりをもつ作家たちを網羅しての展示は、正に壮観である。50年前を知らない若い世代の人たちも、鎌倉に多くの著名な作家たちが住んでいたことは知っているだろうし、へぇー、そんなスゴイ人たちが住んでいたの、と新たな興味を感じる人もいるに違いない。従って、この展示は、若い人たちがそういう情報を一ぺんに入手出来る、又とないチャンス、とPRしておく。

 去年の秋の今頃、朝日新聞の湘南版のトップに、「鎌倉文士の店終章」の大見出しで、龍膽(りんどう)93歳のママ引退、という記事が出ていた。駅前の小町通りの入り口のすぐ左側にその喫茶店兼バアの店はあった。1946年、敗戦の翌年に店を開けた。駅まで1、2分という立地条件で、いつの間にか多くの作家たちが、横須賀線電車の時間待ちに利用するようになった。
 川端康成も、大佛次郎も、久保田万太郎も、その薄暗い店内の粗末なボックスで、コーヒーを啜っていた。帰りの電車で鎌倉駅へ着いてからも、今度はタクシー待ちで又寄り、ビールのコップを傾けた。いってらっしゃい、おかえりなさい、がママさんの挨拶だった。早稲田のおとなしい学生が、よく片隅でコーヒーを呑み、作家たちの姿を羨望の眼ざしで見ていた。それが後年の立原正秋だったと言う。そんな風景が、鎌倉では当り前のことだったのである。
 いまのカトレアビルのあたりに、貴水(きすい)というおでんやが戦前からあった。そこの息子さんは、新橋駅の西側のマーケットで、おでんやをやっていて、終電車で鎌倉まで帰る。さっきまで新橋のお店にいたお客さんが、鎌倉の店でまだ呑んでいたりする。粘っている客の大半はジャーナリストや作家たちだ。
 りんどうの向い側にも、おはこというおでんやがあった。じっくり日本酒を呑むタイプの店で、しゃがれ声の伝法なおかみさんが、大佛次郎や小林秀雄といった大作家と、友達みたいな口をきいていた。作家も一庶民だった。
 時代は少し下るが、小町通りのなか川も、作家の姿をよく見かける。他には小町通りの東洋肉屋の横を入った長兵衛も、戦前からの店で、ここも特に若い作家たちが愛用しているようだ。
 50年代の後半からは、銀座あたりのバアやクラブが盛んになり、作家たちも好景気と共に生活も豊かになったのであろうか、地元で安酒を呑むことも少くなっていた。それでもまち中で、着流しで散歩している文士たちの姿は珍らしくなかった。

 50年前だから、ものみなすべて変って不思議はないが、近代史の中で文芸の流れという点から見れば、その頃の鎌倉というまちの存在は、大きな意義をもっている筈だ。歴史のまち、武家政治発祥のまち鎌倉を、文化の面から又きちんと見つめ直す、そういうキッカケにこの記念展がなればと願っている。
山内 静夫
(鎌倉文学館館長・KCC顧問)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成17年10月号掲載
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