辞典の愉しみ
数カ月前、故事ことわざ活用辞典(戸谷高明監修 創拓社刊)が出版され、版元から送られてきた。この種の辞典は、別に珍しい訳でもないが、この辞典には色々工夫が凝らしてあって、特に目的がなくても、ペラペラめくって眼を通していると、実に楽しい。その一つは、用例として著名な文学作品や評論の一部を引用してあること、他にも同類の故事ことわざを一つの項目にまとめて記述してあること、われわれが手紙ひとつ書くにしても、大変参考になり、文書をつくる愉しみがふえそうな気がする。
故事ことわざの出典は、日本の場合半数ぐらい中国のものだが、眼を通していて楽しめるのは、日本の、特に庶民の日常生活の智恵から発しているものだ。江戸時代、士農工商の世で、下町で商いをしていたであろう正に江戸っ子たちが、お上に対するささやかな批判抵抗を、しゃれた言い回しで言ったものが今日まで生きつづけていることに、ほんとうの意味での“文化”を感じる。
若菜に塩、あばたもえくぼ、嘘をつかねば仏になれぬ、親の意見と冷や酒は後で利く、臭いものに蓋、切りがないからもうやめるが、昨今何やらお偉い方々が、小異を捨てて大同につく、と武骨い掌を重ねていたかと思ったら、数日後には、やれ禊がどうとやらと、小異をとりたてていたのには少々呆れた。言葉は悪いが、目糞鼻糞を笑ふ、ということわざがふと浮かんだ。岡目八目とはこのことか。
鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネル鎌倉」
平成5年8月号掲載
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