少年の夏

9月の絵  七月三十一日、江ノ電納涼電車が走る、という新聞記事を見た。少年時代の夏休みの日々が、にわかに甦ってきた。
 夕方、いつもより早めに夕食を食べ、筒っぽの浴衣に着がえて家を出る。勿論母か兄たちに連れられてである。記録によると、江ノ電の新型の納涼電車は昭和十二年に登場しているので、小学校五年生位の頃だと思う。窓は一つもなく、天井も床も椅子も全て木製、車体の外側は子供が喜びそうな漫画がデカデカ描かれていて、そうでなくても乗り物好きな子供達には、心躍るような電車だった。当時は、若宮大路のいまの島森書店の前が発着場所だった。走り出すと、生温かい風が次第に涼しい夜風となってジカに頬をなぶる。眞直ぐ前方を見ていられない程の風が、子供の胸に夜の海辺への期待をふくらませる。その当時は、夏場だけの臨時駅の「由比が浜」というのがあった。家族連れの乗客は殆どここで降りてしまう。海辺までの道は、人家の間の狭い露地で、前も後ろもいっぱいの人で連なるように歩いて行くと、やがて足元の下駄がザックと砂地を踏むようになり、眼の前に葦簾張りの茶屋が見えてきて。その向こうに白い波頭が次々と押し寄せては黒い海の中へ消えてゆく。汐の香と屋台店のアセチリンガスの匂いが、夜の海辺に何となく妖しげな雰囲気を醸し出す。裸電球がいくつも吊り下げられた射的場、ボットロ落し、子供にしてみれば立ち入ってはいけない遊び場に足を踏み入れてしまったような興奮を感じたものだった。それは納涼電車に乗った時から、序々にしのび寄ってくる。゛真夏の夜の夢″のようなものだったのかも知れない。
 納涼電車は、十九四三年まで走っていたそうである。敗戦の前々年である。思えば、あの鎌倉カーニバルも、ほぼ同時期の夏の鎌倉の風物詩だった。海の銀座、といえば由比が浜を指すことばだった。華やかさの中に、独特の雰囲気があり、そして流行や文化の香りがあったことを、いましみじみ懐かしく思い出すのである。

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネル鎌倉」
平成11年9月号掲載
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