令和4年10月27日教養センターにて鎌倉ガイド協会ガイドの島田信夫氏に講演して頂きました。講演を拝聴して、私共が日頃ガイドをしている基本、ガイドのツボを披露して頂いたという感想でした。
 基本資料としてガイドの研修で使った「かまくらこども風土記」、「としよりのはなし」、鎌倉の史話、説話、言い伝え、夢のお告げ、謡曲、江戸文学、歌舞伎など作者によって脚色されたもの、またガイドやバスガイドによる脚色が一人歩きしてお客さまに広がっていったものもガイドのネタになっています。それがお客様に楽しんで頂けるのであれば史実とは異なっていてもよしとしています。
 11月10日、本講座を元に鶴岡八幡宮~小町地区の散策を島田ガイド、横山ガイド、高橋ガイドの3名で催行されました。当日参加されたお客様は20名でした。

 

【コース】鎌倉駅西口時計台広場~本覚寺~大巧寺~若宮大路(段葛)~鶴岡八幡宮~東勝寺橋~妙隆寺
~二の鳥居前

若宮大路(段葛)・・・・悠久の歴史への参詣道・・・・「夢のお告げ」
 若宮大路は京都の朱雀大路に倣って造られたと言われているが三つの鳥居を有する点は朱雀大路と異なる。三つの鳥居の造り替えは江戸幕府二代将軍徳川秀忠の夫人崇源院(お江の方)の願いと伝えられている。崇源院の夢の中に八幡神が現れ、「備前国犬島の奇岩をもって鶴岡八幡宮の鳥居を造立せよ」というお告げがあったという。大工事の上、遠くから石を運ばなくてはならなかったことから4代・家綱の代になって完成したといわれる。

本覚寺・・・・日朝さま・・・・「としよりのはなし」
 日朝上人は本覚寺の二代目住職となったが、間もなく身延山の貫主になった。そこで本覚寺に日蓮の骨を分けて「東身延」と呼び、身延山に遠い人の便宜をはかった。また「日朝さま」は目を直す寺として知られている。鎌倉市教育委員会編「としよりのはなし」に、『本覚寺の三世になられた蓮昭坊日耀というかたが、寛正元年(1460)師の御坊日朝上人の像をつくって当時、身延におられた日朝上人のもとにもっていってお目にかけた。日朝上人は「この像を寺にもって帰って、自分と思って供養するが良い。自分はこのごろ目の不自由なことの悩みを痛切に感じるのでそういう人たちのためになりたい」とさとされた。そんなことから眼の悪い人が日朝上人の像に願をかけるようになった』と記されている。

大巧寺・・・・おんめさま・・・・「言い伝え」
 大巧寺は、もと十二所にあり、大行寺と言った。源頼朝がこの寺で軍評を行い大勝したことから大巧寺と改名させた。本堂には産女霊神や日蓮聖人像が祀られる。産女(うぶめ)霊神は、天文年間(1532~1554)当時の住職が難産で死んだ産婦の霊魂を鎮め、安産の神として祀ったことから、「おんめさま」とよばれ、安産を願う人たちから信仰される。

☆鶴岡八幡宮☆・・・・歴史に残る人間ドラマの舞台
 康平六年(1063)源頼朝の五代前の源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して、鎌倉の由比郷に祀った。その後、治承四年(1180)、頼朝が鎌倉に入った時これを小林郷の北の山に移した。しかし建久二年(1191)に火災で焼けてしまったため、後ろの大臣山にあった稲荷社を隣に移し、その跡に社殿を勧請した。これが本宮(上宮)の起こりで、若宮・本宮からなる鶴岡八幡宮の原型ができた。

大イチョウと実朝
 「吾妻鏡」の記述によると承久元年(1219)正月二十七日、『八幡宮の石の階の際』にて甥の公暁が切りつけ、実朝の首をとって逃げたと書かれている。大イチョウの樹は「公暁の隠れイチョウ」と伝えられているが、惨劇を伝える資料には「イチョウの木」の記述はなく、江戸時代に創作された伝説といわれる。昨今ではバスガイドによる小学生向けガイドで広まった本宮への階段13段目で殺されたということが一人歩きしているようだ。

 

筋替橋辺り・・・・「としよりのはなし」
 『西御門から県道に出るには、いまでは国大付属小・中学校の敷地に沿って曲がっていくようになっているが、以前はそうではなかった。(略)まえには筋替橋からまっすぐに川が上の方へ続いていて、右側は畑だった。そこへ師範学校の寄宿舎ができたんで、県道から入って右へ曲がり、また左へ曲がって西御門へ入るようになっちまった』と記されている。

妙隆寺・・・・鍋かむり日親・・・・「寺伝」
 妙隆寺あたりは、鎌倉時代の有力な御家人であった千葉常胤の子孫胤貞の屋敷があったところと伝えられている。寺伝によると至徳二年(1385)日英上人を迎えて寺が建立されたと伝えられる。日親上人は室町幕府の六代将軍足利義教に「立正治国論」という意見書を出し、政治の悪いやり方を直させようとしたが、捕らえられて数々の拷問を受けた。その最後に、焼けた鍋を頭にかぶせられるという刑を受けたという。しかし、それでも熱心に教えを広めたといわれ、そして、「鍋かむり日親」という名を残した。本堂の手前に、鎌倉・江の島七福神の一つである寿老人をまつるお堂がある。寿老人は人々の安全と健康を守る長寿の福の神。

 

お客様は熱心に聞かれ、楽しんで頂けたようでした。≪広報 モリ≫

 

     11月10日 島田ガイド        若宮大路にて 

   横山ガイド、島田ガイド、高橋ガイド      二の鳥居前にて

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